五里霧中

Twitterをやめて1日くらい経った。特に問題はない。ただ、友人とのつながりがほとんどなくなったことは残念かもしれない。でも心は少しだけ穏やか。

今頃みんなどうしてるのかな……なんて思って検索をかけてみたけど、私のよく見ているユーザーの多くは鍵アカだった。特に学科の人々。もう見られないのは仕方ない。ふと思ったのは、公開アカじゃない人の内容はわざわざ追う必要もないよな、ということ。これはやめてから初めて気づいた。目から鱗。私は仲間内での雑談がしたいのではなく全世界へ向けたクソツイの垂れ流しをしたいのだから、そもそも鍵のかかったものには価値を見出していない。再認識、というか忘れていたものを思い出した気がした。

 

将来について思いを馳せると、自分とは何かわからなくなる。

プログラミングができるわけでもなければ口が上手いわけでもない。工作は好きだけど、それがお金になるのかは不透明だし、何かが違う気もする。わからない。

これからはもう少しだけ社会に出てみようと思う。その先で誰かが私を必要としてくれたらそこに向かうだろうし、それがなかったり、もっと続けたいことがあれば今の場所に残るだろう。

お金はある程度稼ぎたい。でもお金のために苦しい思いをする気もない。たぶん、私はお金の使い方を知らない。普通に生活する分には平均かそれ以下しか使わないのだと思う。ブランド物とか車とか興味ないし。

私の中で最も大事なものは物とかお金とか地位とかではなくて、誰かに認めてもらうこと、つまりはよしよしなのだと思う。でもこれはこれで贅沢なもので、まずはよしよししてほしいと思う素敵な人に巡り会うこと、次によしよしに足る何か大きなことを成し遂げることが必要になる。結構大変なことなのだ。とりあえずは大切な人によしよししてもらいたい。それから、いつか世界中の人に褒めてもらって、祝福してもらえたら、自分は人類のために何かができた、自分の人生には意味があったんだ、って思えたら、もう十分かな。いっぱい稼ぎたいけど、その裏には、あるところを超えたらそれは自分が豊かになるためというよりは、自分の存在価値の指標としての意味が強くあるのかも。

 

どんな人生にしよう。今まで結局は幼少期に敷いたレールの上を走り続けてきた気がするから、何か予想しえなかったことを始める、たとえその行動が合理性を欠いていても、何かが生まれるのかな、その先には少し違う景色が待っているのかな、だとしたら見に行きたいな、なんて思ったり。