対話

寂しい。寂しくて寂しくて仕方がない。ただ誰かと話す気にもならない。

高校の頃は何だかんだで嫌でも人と毎日会って、気分のなる時は親しい人と話す、そんな感じだった。もともとそんなに群れる方でもない。

大学に入って親元を離れ、毎日話す人というのはなくなった。それでも1年の頃は露領で時々だべったり、新しい街を散策したりと、そんなに寂しさも感じなかった。

でも、2年の春頃から明らかにあらゆることが空回りし始めている。一つは成績勝負が一段落して、燃え尽きたこと。小学生の頃から受験やら何やらで何かと勉強で競う人生だった。それが大学1年の冬で一段落して、緊張の糸がプツンと切れてしまった。もう一つは、自分自身が何がしたいのかよくわからなくなってきたこと。高校の頃は大学に進学すれば何かが変わる、1年の頃もその気持ちでいたのに、いざ選択権が与えられた時、自分は何がしたいのか分からなかった。どれも興味はあるけれど人生を賭ける意味を感じない、おそらくそんなところ。2年の春は無気力で暇だったので、授業はどんどん切って、バイトや教習所、見本市潜入など、いろいろ試してみた。でもわかったのは、何かが違うという感覚だけ。たぶんその頃から、自分は芸術寄りの人間なんだろうなぁというのを薄々感じ始めていた。アニメを見たり音楽を聴いたり。高校生の頃までほとんどしていなかったからか、それらがとてつもなく新鮮で心が揺さぶられた。でも、自分に芸術の素養があるわけでもなく、今更転向するような年齢、立場でもない。大学にいることが自分に嘘をついているような苦しさがあって、今でもそれは変わらない。

結局、悩みに悩んで幼稚園の頃に憧れていた航空宇宙の道を選んだ。でも、私は無気力なままだった。何かが違う、ずっとそんな気分で堕落し、いろんな人に迷惑をかけながら何とか卒業した。というか脱出した。3年の頃は学部卒での就職も考えていたけど、理系として働くには修士を出ておけと親に助言されたので、進学することにした。研究室の先生は紳士的な人で話も面白く非常に好きだったものの、分野がちょっと合わないと思った(たぶん、その時も芸術的な何かを求めていた)ので、航空を抜け出すということだけを考えて、ロボット方面の研究室に移った。

研究室を変えて大学院に進学したものの、分かり合える人はそんなにいなかった。みんなの話していることに興味が湧かないし、分かりたいとも思えなかった。研究に関係ない話でも、驚くほど話が合わなかったというか、そもそも価値観が違っていた。価値観が違うのは当たり前、それはわかっているが、私は心の底から分かり合える、分かり合いたいと思える人が欲しい。いろいろ環境を変えては人と話して、その度に挫折して、心が擦り切れてしまった。研究室に行っても中身のない(研究的意義とかそういうのではない)、心が擦り減る会話しかする余地がないと思うと途端に憂鬱になって、引きこもりがちになってしまった。まあ引きこもるのは得意な方だが、ちょっと病的になりつつあるとは感じている。最近は人と話している時間より動物園の動物を眺めている時間の方が長い。

院進直後は博士なんかも若干考えていたが、もうダメだと思ったので逃げるようにして就活を始め、一応大手の内定はもらった。ただ何か積極的な理由があったわけではなく、現状を少しでも変えたいという一心でサイコロを振り直した感じ。消去法で、エンタメと接点のありそうな開発職を選んだ。ただ、不幸中の幸いというべきか、冬インターンからの流れで就活があっさり終わったのは良かったと思う。

今も何かとサイコロを振ってはたまに当たり機会を得るということはあるが、どれも自分でその好機を潰してしまっているところは否めない。そもそもスタミナが圧倒的に足りていない。一つタスクをこなすと1週間寝込んだり、そんな暮らし。まぁどうすれば治るのかとかは全部わかっているけれど。

答えというか、何というか、やはり私は一人では生きていけない。妻が必要。毎日嫌でも話して、心のつながりを感じられる人。夜に寝かしつけて、朝起こしてくれる人。でもそのためにはもっと誇れる自分でありたいし、未来への道筋をある程度示しておくことがせめてもの礼儀だとは思うので、今の状態で婚活がどうのというのはちょっと考えられない。出会っても砕け散るだけだと思う。まぁ、一度社会に出てまともな人間になれたらなぁと願うばかり。

ずっと対話できる相手を探している。でもたぶんそういうのって長い時間一緒に過ごした人だからこそなりうるものであって、私に残された学生時代はもうそんなに長くない。だからそんなに増えるものではないと思うし、望むのも変な話だとは分かっている。まあ、人生は難しい。勉強なんかよりもよほど。

ひたすら書き殴って酷い文章になったが、数年後読み返すために一応の記録ということで。