研究テーマとか

何となく研究テーマが決まりそう。先生方からの助言でどんどん変えていくと思うけど。

今いる研究室は知能とかロボットとかいろいろ扱う大きめの研究室。少し動物に絡めたテーマにしようかと。

そういえば最近Kubuntu でsudo apt remove python3 をしたらデスクトップ環境とWi-FiEthernet モジュールが死んだ。起動しても黒いコンソールしか立ち上がらない状況に。おまけにWi-FiEthernetも死んでいたから簡単に入れ直したりすることもできず、USBメモリでデータはバックアップした。やれやれ。mountとumount  の手順が分かったような。それとpyenvを導入すると気のせいかopenmpi-binとlibopenmpi-devを入れてもmpiccのコンパイルが通らない気がした。原因はよくわからない。最近はLinuxがかなりお気に入り。家庭内のラズパイにssh公開鍵認証でアクセスしたり、謎にファイアウォールを入れてみたり。

最近はいろいろ頭がごちゃごちゃしていたけど、テーマの方針が立ちそうで少しすっきりした。ただここしばらくは全体的に人とのかかわりが少ないので、研究室に通うなりして会話を保ちたいところ。連休中に実家に帰って自分でも驚くほど会話がたどたどしくなっていた。これは良くない。

それと最近親戚?が増えた。わたしおねーさんになったんだあ。ではなく。複雑な家庭ではない。ただ個人的には自分がまだまだ子どもなのでこの表現の方がしっくりくるような。

IP管理

最近インターネットプロバイダの乗り換えを行って、新しいルータを貸してもらった。そこで、春から入った研究室のネットワークを見習ってIPアドレスの固定をしてみた。

前から家のどの端末にどのIPアドレスが割り当てられているのか把握できておらず、何かと不便なことがあった。それでこの機会にいろいろいじってみたり。まずはDHCPサーバによる割り当て範囲をいじった。もともと192.168.2.100~192.168.2.200とかだったけど、ルールに従って決めたかったので少し整理した。まあ。

デスクトップPCのIP固定はよくやるけど、ラップトップPCのIPを端末側で固定すると外に出たときに面倒だなと思っていた。そんなわけで今回はラップトップに関してはルータ側でMACアドレスからIP固定を行い、ラップトップ側では自動IPの設定にした。良い方法なのかはわからないけどとりあえず動いた。まあ。しばらくはこれで様子を見てみる。

そろそろ10年くらい前のラズパイで勉強用にファイルサーバを立てようかなと思ったり。せっかくあるのにもったいないし。

研究の方もやっていかないとなぁ。眠い。ままっ。

両立

研究とバイトと家事と趣味がなかなか両立できない。バイトは減らし気味だけど。趣味に費やすからダメなんだろうな。たぶん。それと家事は常にのしかかってくるからなかかなか。駒場の頃ってどうしていたんだっけ。しょぼい趣味しかできなかったんだっけ。

連休はゆっくりしよう。ただ研究の下調べもしないと。それと関連分野の勉強とか。うへぇ。4月は予定がいろいろ頭に流れ込んできてほぼ処理落ち状態だった。だんだん慣れていくのかな。わからない。

ずれ

私はまだ心の中は中高生のつもりなのに、体だけが老いていく。社会的に期待される人格も徐々に上がっていく。

人は10代までに手に入れられなかったものに執着する……まあこれはいろいろつっこみどころはあるけど、逃した魚は大きいとか言うし、若い頃の記憶がその後に大きな影響を与えるというのは事実だと思う。

たぶん、関係あるかはわからないけど何となく、今後しばらく私は絵に描いたような青春に憧れ続けてしまう気がする。がむしゃらに努力する日々とか、淡い恋とか、もろもろ。年を重ねるにつれ予定調和が増えてしまった。成長というか、何というか。どうしても大人になると背負うものが増える気がする。努力にしても明確な結果が求められるし、だから無難な努力になりがちだし、恋も稼ぎとか現実的な問題が増えてきて、結局は品評会になるというか、「好き」の前提が増えるというか。しがらみも増える。自由に使えるお金は増えても、時間はどんどん削られていく。だからできるだけ時間のかからない趣味となると、私にとってはどれも薄っぺらくなってしまって、幸せとは程遠い、その場しのぎの趣味になる気がする。それで、その場しのぎを繰り返すうちに気づけば中年になって、大した充実感もなく死んでいくのかなと。まあ子どもができたりしたら幸せの定義が変わって、そんな毎日でも幸せを手にしたりする、そういうことなのかも。

子どもの頃はみなそれぞれ輝いていて、生き生きとしていて、色とりどりの個性が美しかった。そんな気がする。わからないけど。無邪気だった。でも大人になるとみな同じような人間になって、同じような幸せを求めて毎日暮らして、そしていずれはみな同じように老いて死ぬ。摂理なのかもしれない。それはそれで良いとして、気になるのは、自分もまたその流れに入りつつあるということ。数年前までは自分だけは他の人とは違う何かを持った人でいるはずと心のどこかで信じていた。今でもそうありたい。でもなぜかもう頭が働かない。キラキラの日常というか、光る何かを求めて走ろうとしても体が動かない。ずっと部屋の中でインターネットに浸かり、湯水のように湧き出るクソみたいな情報をただただ眺め続けている。自分では何も変わっていないつもりだったのに、確実に何かが変わりつつあるのを日々感じる。それがつらい。どうしようもないけど。そういうものなのかな。

嘆いても、社会に出るのは時間の問題ではある。日々の鬱憤を酒でごまかすような生活は避けたいところ。悲しいし。

これから生きていく上で、「美しい景色を見る」というのは大きな目標になりそう。たぶん私の根源的な欲求の一つ。自然の壮大な景色を見るのはもちろん、近未来的な景色、誰も見たことのなかったようなデバイスとかロボットとか。「ときめき」も大事だと思う。私にとっては一番思い出に残るというか、生きていて良かったなと思える瞬間だから。年を重ねればときめきは減ってしまう。これは当然のこと。でも、できるならいつまででもときめきを得る機会のあるような、希望の尽きない社会にしたい。まあ、理想論だけど。でも生きる意味を考えれば考えるほどこのくらいしか理由はないのかなとも思ったり。死ぬ理由もないけど、積極的に生きる理由というとこの辺かなと。

寝ないと。早起きしないといけない日に限って物思いに耽って夜更かししてしまう。こんな余裕があるのも今のうちか。

何のために

毎日倦怠感。朝起きてから夜寝るまでずっと頭が働かない。考え事ができない。常にもやもやという感じ。頭がごちゃごちゃしていて何も考えたくない。それなのにいろんなことが頭を巡ってしまって余計に疲れる。だるい。

何のために生きているのだろうとふと思う。社会に貢献しているわけでもないし、かといって自分が幸せかというとそうでもないし、まあこの上なく恵まれているのだろうけど、ここ3年ほどは幸せを感じることも少ないし、何というか。人生はよくわからない。結局大学生活は楽しかったのは1年までで、それより後はあまり思い出もないし、もう少し記憶に残ることがあれば充実感とか得られたのかな。コロナ以降は思い出したくもないというか、思い出す価値がないというか、なくても良かった日々なのかもしれない。世間の人々から聞く大学生活とは程遠くて。ゴミみたいな日常だった。悲しい。

部屋は片付く気がしない。頭がごちゃごちゃ、部屋もごちゃごちゃ。でも片付ける元気はない。暖かくなっても何も変わらないのかという感じ。どんよりした気分。誰かと話したいわけでもない。遊びに行きたいわけでもない。ただ擦り切れた心を労りたいというか。帰省して家族と過ごす時間を取ろうかな。

すべてを忘れて余暇に浸りたい気持ち。頭の中を空っぽにしたいもの。はぁ。

うるさい

うるさいのが苦手。

救急車の音とか。大きな病院と消防署がすぐ近くにあるから毎日うるさい。ガチでうるさい。

それとオンライン会議の音。パソコンから聞こえてくる声は非常に疲れる。イヤホンで聞くと頭がおかしくなりそうだから(すでにおかしーとかいわないでよっ、ままっ。)極力家の中でスピーカーで聞いている。

他にも自動車の音、工事の音、換気扇の音、冷蔵庫の音。電気自動車は静かで臭くないから期待している。二酸化炭素とかはどうでもいいけど、音というのは間違いなく環境だし、静かなのは大切だと思う。

わたしおんなのこなんだあ。

わたしおじさんになっちゃったみたい。

ちょ、ちょんなわけないよねっ……わたし、その、かわいーかわいーおんなのこだもん、だって、わたし、まだひとりであさおきられないし、それに、わたしよーちえんじだし、その。

……まーね、わたしね、よーはね、おねーさんになったんだね。きっとそーゆーことだとおもうんだあ。