私がクソを踏み続ける理由

私は開発やら何やらで、割とよくわからないバグや不具合に遭遇しがちである。この前もマイコン開発でmbed-Windows間のシリアル通信は正しくできるのにmbed-Ubuntu間のシリアル通信が反応しなくて、Ubuntuに変な常駐プログラムがないか探してもなくて、さらにはOS再インストールをしても改善しなくて、結局はマイコンボードのファームウェアが古すぎたとかいうクソがあった。アップデートしたら一瞬で動いた。

その他にもシリアルモニタmoserialを使っていたらバイナリデータをうまく受信できていなくて、あれこれ調べまくった後に実はこのアプリがバイナリデータ受信には厳密には対応していないと悟り、別のシリアルモニタcutecomを使ったらあっさり動いた、とか。バイナリデータを扱えないんだったらバイナリウィンドウを表示するんじゃねぇよ。クソ。

今日もROS 2のtutorial通りにやってもコンパイルが通らず、調べまくっても同じ症例がなく、結局少し手順を変えるだけであっさり動いた、とか。これも微妙にクソ。

中学生の頃から独学でマイコンやプログラムを勉強し始めて、ありったけのクソは踏んできた。そして、航空時代のプロジェクトでクソを踏んでいる後輩がいても、大抵のことは一瞬でその原因がわかった。なぜなら私はすでにそのクソを踏んでいて、その度に何時間も何日ももがいてきたから。

でも私が偉いというものでもない。かろうじていくつものクソを解決できた中で、インターネットの恩恵は凄まじい。私の周りには知識のある人は一人もいなくて、インターネットに頼るしかなかった。でも徹底的に調べると答えが見つかることも割と多い。そこが諦められない理由。

私はもう多少のクソならいとも容易く回避できる。でも、それでも世の中のクソはなくならない。知る世界が広がれば広がるほど、そこには私にとって未知のクソが落っこちている。そして、その度にクソに足を取られてはもがいて、苦しんでいる。

なぜだろう。なぜこんなにも私はクソを踏むのだろう。……と考えて、ふと一つの答えに至った。

わたし、その、いっしょのおあそびするよーな、その、しゅみでかいわがはずむよーなおともだちがまったくいないんだあ。

はい。真理ですな、これ。ロボコンとかしていたらそのグループ内で情報共有とかもあるのだろうが、私は人間関係の煩わしさが元々大嫌いで、それゆえになるべく面倒を避けようとしていたら一人で趣味にのめり込む時間が長くなっていた。積極的に対外的な活動もしていないし、飽き性ゆえに趣味のサークルとかに入ってもおそらく数か月で興味がなくなってしまって活動がつらくなってしまう。それに脱会するのはもっと苦痛で、縁を切るというのが非常に苦手らしい。限界まで達すると途端に関係ないところまで含めて徹底的に関係を切ったりするような(要は社会不適合者……ままあ゛ぁっ!)。で、何でも一人でやろうとするから当然先人の知恵みたいなクソ回避システムがうまく働かない。自分としては常に先人もどきになっていて、いわばクソの再発明を繰り返しているのだ。

何というクソであろう。しかし、一人でやりたい、干渉されたくないという思いもやはり残る。少人数の方がいいのかな。飲みに行くならサシ飲みがいいし。会話も三人以上になると途端に聞くだけになる。話したくないんじゃなくて、相手の会話が終わって、次に間を置いてから自分が話そうとしたらすでにどこかの猿が話し始めているから。その猿の声に覆いかぶせて話そうとは思わない。疲れるし。まあ、私って実は大企業向いていないのではという感じ。ままっ。

こんな感じでつらつら書いていたけど帰省もそろそろ終わり。いつもながらのびのびできるような正月でもないけど、まあ植物の成長が見られたのでこれでよしということで。東京に帰ったらまた研究室の雑用(いちおーおきゅーりょーはもらえるけど、もらってもやりたいとはおもわないんだあ。)の続きをするか。ままっ。