冬の日常

私は常に何かを考えている気がする。起きている時も寝ている時も。

作りたいものの設計図とか、組み立て手順とか、回路とか、プログラムの構成とか。他には頭の中の彼女とか、最近耳にした曲の回想とか、自分の感情の揺れ動きとか、世界の今後とか、特に意味もないことをつらつらと。

何かを作るときはすでに頭の中ですべての手順がほぼ決まった状態で取り掛かるから、消化試合的に感じることが多い。だから予測できなかった課題が出てくるとそれはそれで趣を感じられる。言い換えれば、そこに成長を感じられるから、行為に意義を見出せて、幸せを得られる。逆に予定調和的に終わる物事はとても退屈でやる気も起きない。そんなもの。単純労働には向いていないのだろう。何というか。

最近思うところとしては、自分の行動原理とかについても。まあ「INFP」と検索してくださいと言えばそれで終わりなのだが。別に世間の人々はほとんど興味もないのだろうが、このMBTIというのはかなり自分に刺さってしまう。いろいろと自覚があるのだろう。

さて、こう表現すると大変痛くてやばそうに見えるのだが、おそらく私の究極の目的は

「自身の信じる美の探求と理想世界の建設」

で、年々それを強く自覚してきている。他人より強くなりたいとか稼ぎたいとか褒められたいとかそういうのはあまりないらしい。研究をしたいというわけでもない。他人より早く論文を書くとか特許を出すとか、なぜかわからないが全く魅力を感じない。必要ではあるものの。それよりは美しいものを作りたいという欲求が勝る。

きれいな景色、かわいい動物、美しい構造、そういうものに触れると心が震える。そして寝食も忘れて没頭してしまう。一応私にも集中できる素質はあるのだ。かなり揺らぎがあるだけで。興味のあることに対しては世間一般の人間の「集中」とは桁違いの力を出せるし、一方で興味のないことに対しては常人離れした無能になる。そういう人生らしい。

将来はどうしているのだろう。創造的な仕事に就きたいと思う反面、強烈な芸術性があるわけでもないので、技術方面で自分の価値観と合う職場を探すのが妥当かもしれない。自由なところが良い。開放的で、人間関係も暑苦しくなくて、多様的で、挑戦的で、先進的で、柔軟で、そんなところ。でも永くは止まれないと思うから、数年ごとに職場を転々としている気もする。

そういえば最近Twitterを辞めてしまった。何というか、飽きてしまった。疲れたというか。つぶやくことが思いつかないというのもある。FFの近況というかその辺に興味がなくなってしまったというのも大きい。ただこちらのブログは毒にもならないのでしばらく残しておこうと思う。まあ。

長くなったのでこの辺で。