ずれ

私はまだ心の中は中高生のつもりなのに、体だけが老いていく。社会的に期待される人格も徐々に上がっていく。

人は10代までに手に入れられなかったものに執着する……まあこれはいろいろつっこみどころはあるけど、逃した魚は大きいとか言うし、若い頃の記憶がその後に大きな影響を与えるというのは事実だと思う。

たぶん、関係あるかはわからないけど何となく、今後しばらく私は絵に描いたような青春に憧れ続けてしまう気がする。がむしゃらに努力する日々とか、淡い恋とか、もろもろ。年を重ねるにつれ予定調和が増えてしまった。成長というか、何というか。どうしても大人になると背負うものが増える気がする。努力にしても明確な結果が求められるし、だから無難な努力になりがちだし、恋も稼ぎとか現実的な問題が増えてきて、結局は品評会になるというか、「好き」の前提が増えるというか。しがらみも増える。自由に使えるお金は増えても、時間はどんどん削られていく。だからできるだけ時間のかからない趣味となると、私にとってはどれも薄っぺらくなってしまって、幸せとは程遠い、その場しのぎの趣味になる気がする。それで、その場しのぎを繰り返すうちに気づけば中年になって、大した充実感もなく死んでいくのかなと。まあ子どもができたりしたら幸せの定義が変わって、そんな毎日でも幸せを手にしたりする、そういうことなのかも。

子どもの頃はみなそれぞれ輝いていて、生き生きとしていて、色とりどりの個性が美しかった。そんな気がする。わからないけど。無邪気だった。でも大人になるとみな同じような人間になって、同じような幸せを求めて毎日暮らして、そしていずれはみな同じように老いて死ぬ。摂理なのかもしれない。それはそれで良いとして、気になるのは、自分もまたその流れに入りつつあるということ。数年前までは自分だけは他の人とは違う何かを持った人でいるはずと心のどこかで信じていた。今でもそうありたい。でもなぜかもう頭が働かない。キラキラの日常というか、光る何かを求めて走ろうとしても体が動かない。ずっと部屋の中でインターネットに浸かり、湯水のように湧き出るクソみたいな情報をただただ眺め続けている。自分では何も変わっていないつもりだったのに、確実に何かが変わりつつあるのを日々感じる。それがつらい。どうしようもないけど。そういうものなのかな。

嘆いても、社会に出るのは時間の問題ではある。日々の鬱憤を酒でごまかすような生活は避けたいところ。悲しいし。

これから生きていく上で、「美しい景色を見る」というのは大きな目標になりそう。たぶん私の根源的な欲求の一つ。自然の壮大な景色を見るのはもちろん、近未来的な景色、誰も見たことのなかったようなデバイスとかロボットとか。「ときめき」も大事だと思う。私にとっては一番思い出に残るというか、生きていて良かったなと思える瞬間だから。年を重ねればときめきは減ってしまう。これは当然のこと。でも、できるならいつまででもときめきを得る機会のあるような、希望の尽きない社会にしたい。まあ、理想論だけど。でも生きる意味を考えれば考えるほどこのくらいしか理由はないのかなとも思ったり。死ぬ理由もないけど、積極的に生きる理由というとこの辺かなと。

寝ないと。早起きしないといけない日に限って物思いに耽って夜更かししてしまう。こんな余裕があるのも今のうちか。