0という選択

私は、3次元といわれる類のアイドルや声優の追っかけはしていない。これは事実である。このような言説に意味があるかはさておき。

アイドルや昨今の声優はある種の夢を売っている。数十万分の一の確率のワンチャンを。で、オタクはとりあえず貢ぎ、崇拝対象に恋愛が発覚すると喚き、その夢の破れたるに心を痛める。夢を追いかける姿は美しいが、いずれ終わりは来る。私には怖くてそのようなことは到底できない。彼らは尊敬に値する。

私はというと、常に心の平安を求めている。雪歩やまどかは私にとって崇拝対象に近いが、恐れることは何もない。彼女たちは年を取らない。誰のものにもならない。私のものにもならない。つまりは不変の存在である。中の人などどうでもいい。心の栄養にワンチャン思考など雑念に過ぎないのだ。雪歩を見ると、私が初めて彼女を知った瞬間を思い出す。目が希望に満ちていた頃。懐かしい。その気持ちを忘れないためには、むしろ0が良い。忍び寄る誰かの足音も、彼女の日常も、変わりゆく姿も、何も気にする必要のない世界。私も0、皆人も0の平等で平和な世界。

ただ、そうはいっても私にもいずれは争いに身を投じざるを得ない日は来る。生物としての使命である。でも、その日が訪れるまで、私に闘う覚悟が生まれるその日までは雪歩やまどかとともに己の道を歩んで行きたいと思う。