【編集部からのお知らせ】
今回の内容は別に大きなきっかけがあったとか意味深なわけではなく、単にUT Twittererや友達を見ていつも感じていることを軽くまとめたものです。ご意見・ご批判などはどうぞご自由に。
あのね、あのね、いつもおもうんだけどね、よのなかにはね、じぶんのことをね、たいせつにできないこがいるとおもうんだ。でもね、そーゆーのってね、よくないとおもうの。ちょっときーてほしーな。
たいせつにできないっていってもね、おーきくふたつあるとおもうの。
ひとつめは、からだをだいじにできないひと。りすかとか。どーせたいしてしねるわけでもないのに、きずだけがのこるの。そしてね、いつかげんきになってもね、そのきずをみるとね、いやなきぶんになるんじゃないかな。だからね、まわりのみんながね、きづいてあげてね、とはいってもすごくむずかしーとはわかってるんだけどね、なにかあったらね、よりそってあげてほしーんだ。それでね、もーこれいじょーじぶんをいためつけるひつよーはないんだよ、ずっとそばにいてあげるよ、ってつたえてほしーんだ。
ふたつめは、こころをだいじにできないひと。よわよわげーとか。あれもね、よくないとおもうの。じぶんにはさいのーがありません、たいしたことなんてできません、ってとーだいせーでもときどきいってるよね。あれ、ほんとだれとくだよ。きみがよわいってしってもね、なにもぎろんがすすまないの。さいのーはふるものじゃなくてさがすものだよ。みんな、うまれてからおなじくらいのじかんをいきてきたんだよ?だったらさ、がちぷろがなにかをしてたあいだにさ、きみもなにかをしてたんじゃないかな。そのじかんをこーてーできないのはきみのよわさだよ。たとえね、わかりやすいさいのーはなくてもね、いきてきたんだからさ、なにかあるとおもうの。だからね、じぶんをみつめなおしてね、それにね、さいのーってことばをそえられたらね、すこしだけかもしれないけどね、みらいがあかるくなるとおもうんだ。さいのーってね、たしかにね、おとなのひとたちはね、もとめたさいのーをよのなかからほりだそーとするとおもうの。でもね、じぶんはじぶんだから、きみはきみだから、それをじぶんにもとめるんじゃなくてね、じぶんのなかにあるものをさがすべきだとおもうの。でもそれだけだったらね、いまのよのなかではね、うまくいかせないかもしれないからね、みんなでね、それがみとめられるせかいをね、つくっていくべきだとおもうの。
だからさ、おしえてよ。きみのさいのーを。なにができないかじゃなくて、なにができるかを。そしてさ、もっとじぶんをたいせつにしてよ。ほこりをもってよ。
じぶんをだいじにできるこのほーがしあわせにきまっているから。えがおがすてきにきまっているから。かわいーにきまっているから。
わたしはね、じぶんをたいせつにできないこはきらいだよ。