ごめんなさい

私は裕福な家庭、非常に幸せで恵まれた家庭に育ったのだと思う。

親が何千万と稼いでくるとかそういうのではないが、今までお金に困ったことはないし、そもそも質素な生活を好む家なので出費も少ないのだと思う。そして何より、夫婦仲や親子仲、兄弟仲、どれも良い感じである。もめたりもしない。何事もなく円満。

勉強においても小さい頃は親に聞けば何でも教えてくれたし、高校生にもなると放任主義だったので完全に自分のペースで進めていた。

私は中高は私立だが、小学校から高校にかけて、学習塾に定期的に通ったことはない。時々模試や特訓に飛び込む程度。あ、小6の時に国語だけどこかの個人塾に行っていたような。でも基本的に塾に行かないのは意外と珍しい方だった。

私の中高の同級生には塾漬けの人が多かった気がする。小学校の頃から学校終わりに塾に行って、晩御飯はお弁当で……少し気の毒だった。ちなみに私は塾で晩御飯を食べたことはない。小6の秋か冬まで毎週月曜日は友達の家に遊びに行って外遊びやテレビゲームをしていたし、小5の頃はスイミングスクールの終わりに待合室で友達数人とベイブレードをしていたし、そろばんも小6の6月までではあったけどずっと行っていた。そう、私は極めて普通の子どもらしい子ども時代を過ごしてきたのだと思う。同級生の中でも特に普通、いや異質なほど普通だった。

 

今まではこんな感じ。たぶん私はありったけの愛情を受けてうまくここまで育ってきた。これは非常に素晴らしいことだと思うし、両親をはじめとして周りの方々には感謝してもしきれない。

 

ただ一つ、何というか、欠けているものがあるように感じた。非常に贅沢で愚かな悩みではあると悟っているものの。

 

……うん、私にはより多くの財産とか、より豊かな生活とか、そういうものへの憧れがないのだ。

もう、一人の人間として受け取れるものは全部もらってしまった気がして、自分が何かを得ることへの興味が薄れつつあるように思う。でもその反面、ものではない何か、承認欲求というか、誰かに必要とされたいとか、認められたいとか、そういう気持ちが日に日に増していることに気づく。これだけ恵まれているのに自分が特別な何かになれないのは罪だ、とも思う。馬鹿馬鹿しいとはわかっているけど。私が鬱っぽくなるときの本質的な原因は主にここからきている気もする。

 

贅沢な悩みでごめんなさい。でも私は幸せになりたいから、その源はものやお金ではないと感じてしまうから、給与とか安定性とかだけではなくていろいろな面を踏まえて人生を考えたい。頑張る。